……ここは何処だ?


 何故俺はこんな所にいる?


 分からない――


……俺は誰だ?


おかしい、何も……分からない


何か、不思議な感情が流れ込んでくる――



……何だ、この感じ――?




(どこか、遠くとも言えない最果てにて。)




【dream-1.3】
…隔たりを映した己の夢
-Fake...You are a FAKE!-



 もやもやした空気を感じる。思わず身体が浮かび上がりそうだ。まるで雲のように。
けれどもそれは叶わない。現実には起こり得ない、儚き夢見事なのだから。

 気がつけば、俺はまっさらな草原にいた。
だだっ広い大地に、吹き抜ける涼しげな風。
ただそれだけなのに、そんな普通の光景なのに。俺には何だか居心地が悪くなる。
やっぱり風邪でもひいたのだろうか。でもそれとは全く関係がない気はする。

 ここは遠い最果て。果てなき草原。矛盾した思考が俺の頭を支配する。
草原なのに、どこもかしこも白くみえる。
今にもこの景色が、崩れていきそうで。

 ぽろぽろり。
雨粒かと思った雫は、闇の液体。
地面に降りたそれは、べちゃりと不愉快な音をたてて形を失う。
空から闇が漏れ出して、光は掻き消されていく。
だんだん視界が奪われていく。ただ白いだけの世界なはずなのに。
どうしてだろう。
吐きそうだ。

 そのまま、何かに溺れていく。
ぼた、ぼたり。
消えかかる景色の中で。
俺は一人の女性を見た。
リシュア……?いや、違う。けれど、どこか見覚えがある。
朱茶色の短い髪に、緋色の瞳……こちらには気づいていないようだ。
ああ、俺は彼女を知っている。かつて、俺が旅人だった時―
俺は頭の片隅に遺しておいた、彼女の名を叫ぶ。
聞こえているのだろうか。彼女は一瞬だけこちらを向いた。

 その顔が見えたか見えないかというところで
俺の視界は暗闇に染まった。


「            」


 彼女が何か、応えたが。
その声はもはや俺には届かない。





「……貴方も、私と同じなのね……」


 不意に暗闇の底から、声がした。
聞いたことのない声色だ。いや、嘘だ。
けれどもどこか愛おしい。

 俺はゆっくりと目を開いた。始めは目が慣れずに、真っ暗なままだったが、次第に視界が開けてきた。
そこに広がっていたのは……一言でいうなら、蜘蛛の巣。
糸が多角形状(正確に数える余裕はない)に張り巡らされており、この糸に触れずにこの空間を移動することなど不可能だろう。
その真ん中に、俺とその声の主はいた。


「……おはよう、リミィ」


 話しかけてきたのは、紛れもない声の主である女だった。
喜んでいるわけでもなく、悲しんでいるわけでもなく……いや、或いはそれらが混ざりあっているのだろうか。彼女から感じる気配は独特なものであった。それでいて彼女は、悲しげな笑みを称えている。
敢えて例えるなら……初めて柳尉に会った時に感じたものと酷似しているとでも言えばいいだろうか。

 そういえば……さっき、何が起きたか。俺は思い出してみることにした。
リシュアが部屋を出ていった後、誰かが部屋に侵入していた。
そう、こいつだ。今俺の目の前にいる女がそうだ。
彼女が、いきなり俺に襲いかかって来た。少しは反撃した覚えがあるが……それからか、意識が無かったのは。

 女は少しだけ、俺に身体を近付ける。
思わず後退ろうとしたが、叶わなかった。
その腕と足は、見事に糸で絡め取られていたのだから。
 いつの間に。
振りほどこうとしても、それは頑丈に絡まっており、自分ではどうすることも出来ない。少々足掻いたが、すぐに動きを止めた。


「……抵抗しないの?」


 少々怪訝そうに、彼女は首を傾げる。
――抵抗しても、意味がないから。
俺はそう応えた。そういえば、これが初めて彼女と交わした会話であった。
女はそれを聞くと、冷めてる、と呟き、再び先程のような表情に戻り、そっと俺に手を掛けた。


「よくわかっているじゃない……何かちょっぴり尊敬しちゃう」


 それと同時に、激しい頭痛に襲われる。
何だ、これは。


「そういえば、自己紹介してなかったね。私はシュピタル」


 彼女は名前を口にするが、今はそれどころではない。
呼吸だけで精一杯だ。
これではまるで、蜘蛛の罠にかかって食われる獲物のようである。


「……リミィ、私はね。貴方と話したいことがあるの」


 そう言いながら、シュピタルは静かに、無力な俺を抱き締めた。

 それと共に、更に痛みは増していく。駄目だ、このままでは――


「それは貴方の傷を深くする行為かもしれない。それでも……」


 しかし彼女は残酷に、こう言い放つ。


「リミィ……私のお願い、聞いてくれる?」


……その願いを、「俺」は承諾していた。

 もう、俺は身動きさえ取れなくなっていたのだから。


「この__を、」


 ぽちゃり。

何かが溢れ落ちる音がした。





 遠い場所と水面が。
凄く間近に見えるようだ。
一歩足を踏み出せば、沈んでしまいそうな程。

 そんな水面に、一人の青年が映る。
この姿には見覚えがある。
何故なら、それは自分自身だから。
纏う雰囲気こそ別人だが、よく酷似している。
薄ら笑いを保ちながら、彼は……自分は口を開く。

「……お察しの通り、俺はお前の影だよ」

 長き静寂。
この場が静かであると、本当に何も聞こえない。
それを不気味と思うかは、その人次第。

 ゆらゆら揺れるのは己の影。手を伸ばしてみても、その手は濡れるだけ。

やがてその姿は掻き消えて、自分だけが残された。

 ここに、ひとり。

虚無感に、俺は思わず…





―タスケテ。





 哀しく漏らした声は、深く深く、水底へ沈んでいった。





 沈み行く夢の中で。

私は小さな夢をみた。

それは誰の夢なのだろうか、私自身のものではないようだ。

目の前には一人の少年がいる。

剣を二つ手にしている。一つは紅く、もう一つは蒼い。

ねぇ、どうして泣いているの?

まるで幼い日の私のよう。いや、今でもそうなのかもしれない。

大丈夫だよ……泣かないで。

私が傍にいてあげるから――






 おかしいのは知っている。
問題なのは、それがどうおかしいのか。

 ラックは思考を巡らしてみた。が、彼のちっぽけな頭ではなかなか思い付かないものである。

 リシュアを追いかけるべきか。
もしこの場にリミットがいるのならば、そうするだろうか。


「……ユメは、ねむいぞ」


 そんな状況にも関わらず、ユメはラックの袖を引っ張ってこう言う。
今忙しいんだから。そう返してもユメはただ同じことを繰り返すだけ。


「そんなに眠いなら、寝ればいいじゃん」
「でも、いまねたらユメ、たいへんなことになる」


 ん?
ラックはユメの返事に疑問を覚えた。
そういや、ユメは自由気ままに生きている。普段なら一々眠いとか言わずに、勝手にその辺で寝ているはずだ。
彼女なりに何か思うところでもあるのだろうか、ふわりと飛び上がる。


「この樹のまわりに、なにかいる」


 何か、いる?
刹那。地震とは思えない細かな揺れを感じる。
とっさに机の下やらなんやらに潜り込むラック。
しかしそれほどまでに激しくないようだ。細かな揺れを刻みながら、これ以上大きくも小さくもならない。

 恐る恐る顔を出すラック。
ユメはふわりふわりと宙にいる。
ミラムとプリュは二人で寄り添い、様子を伺っているようだ。

 ごとん。何かが床に落ちてきた。
それはごく普通の小包。
先月、リシュア宛てに届いたものである。しかしながら、彼女はこれを開けようとはしない。なので今も、この場にこうしてあるわけであるのだが。
何気なくマッチがそれを拾い上げる。
しかしそれは、異様に軽いものであった。
ことん。
中で何かが揺れる音。
しかしそれ以上を深く追求せずに、マッチは小包を元の位置へと戻した。
因果関係はないだろうが、ぴたりと揺れはおさまる。
ユメもゆっくりと地面に降り立つ。
とんっ……小さな足が地面に触れた音を期に、再び、静寂が場を支配する。
静かな空気はそれだけ、不安を浮き立たせるのだが、発する言葉も見当たらないまま、数十秒が流れていく。


「……やっぱり、追いかけよう」


 そんな中で、沈黙を破ったのはラックだった。
その顔は、いつもの笑顔でにこにこ笑っている少年とは想像もできないような、真剣な顔つきであった。


「なんだか怖いよ。二人共いなくなっちゃうなんて……」


 それでも彼は、怖いと言った。それが素直な意見で、一番彼自身が分かりやすい感情であったのだ。
そして、扉の向こうへ駆け出す。
彼はその上、不安に思っただけなのに。
人は不安にかられるとよからぬ行動を仕出かしてしまうものだ。
一人で飛び出すとは、なんて愚かな。


『おいラック……!』


 思わずディカノもその跡を追う。反射的にか、意図的にか。
残された者。追いかけるか否か。
ふう、とテンは小さくため息をひとつ。


「……もしかしたら夢の中で何かあったのかもね」
「夢?」


 思いがけない単語をきいて、残された者は疑問を抱く。ユメだけは自分の名前を呼ばれたと勘違いして思わずなんだと言ってしまったが。


「……昨日の夜に夢を見たんだよ。それも、何が何だか全くわからない、ごちゃごちゃした」


 後味悪かったよ。テンは顔を曇らせ、続ける。


「夢が人の心に深い影響を与えることくらいは、勘づいているよね?」
「ああ、よく夢に関する病症は耳にするからな……」


 柳尉が静かに呟いた。続いてマッチも頷く。


「本来なら夢は守人が守っているはずだよ」
「ラルジュが?」
「違う違う。彼は時の守人でしょ?」


 ジャンの考えを冷静に否定する様は、やはり子供とは思えないのだが、テンは的確に推測していく。


「……この間の事件も、その時の守人が関係していたわよね?」


 ここでミラムが発言。
今となってはもはやその爪痕は残っていないが、数ヶ月程前、時を司る神殿の地域…要するにウォライで奇怪な現象が起きている。
偶然その場に居合わせたティンクルラッカーは何とかその謎を解いたのだが。


「何か、関係あるってことぉ……?」


 プリュも唸り出す。
そしてまた皆が思考を始めてしまう。再び静けさが訪れようとしていた、その時。


『夢見る者、此処に集え』


 小さく誰かが呟いた。
明らかにここにいる面子ではない。一体誰が、そう思わずともこれだけはわかった。


「みんな!逃げっ――」


 ジャンがそう言い切るには時間が足りなかった。
突然、部屋中に暴風が吹き荒れ、無様にもジャンは外へ吹き飛ばされてしまう。
プリュが助けに行こうとするが、扉はバタンと閉まり、開けようとしてもビクともしない。


『……夢に惑え、其の深淵に溺れるがいい……』


 再び例の声が聞こえた瞬間、その空間は、ぐるりと一回転した。誰が何と言おうとも、それしか言い表す術は無かったのだから……





 外へと放り出されたジャン。
何が起きた?そう思って立ち上がり、夢の樹を振り返る。
見ると、そこは彼がよく見る夢の樹のまま。
おかしいな、そう思って扉に手をかけたが、どんなに力を入れても扉はビクともしない。
嫌な予感がする。
これは一人ではどうしようも出来ない、そう割りきったジャンは、先に飛び出したラックとディカノを追いかけようと、夢の樹を背にして走り出した。


 懐かしい、けれどもどこか恐ろしい。

一陣の風が駆け抜けた。

あの時と、同じように、……?


 



「ああ、誰かがきっと、悲しんでいるようだ…」


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