……何故、彼と対峙なんかしているのだろうか。

 焦げ茶色の髪の少年は、今の状況に不満を抱いていた。
目の前には、どこか古びた橙色のコートをはおっている男性がにこにこ笑みを浮かべているのだった。その手には、鳥の形をした杖。今にも鳴き出しそうなリアルさであるのだが、まあ今はそれはどうでもいい。

 ここは何も無い、ランスター郊外の草原。
見渡す限り、緑色の大地が広がる。そんな場所。
この草原を北東へ進むとランスターの町が、南西に進むとラック達が住まう夢の樹が存在する。
この辺りは温暖な方で、ここを更に南へ横切ると川にぶち当たる。のどかな自然の光景が見える、比較的平和な地域でもあるのだ。
たまに都会人が癒しを求めに、又は療養の為に訪れたりもするが、基本、賑やかになることはない。お祭りの時は別だが。なかなかあの時期は大変である。

 その少年も、「仕事」に疲れたのかふらりとこの地を訪れていただけだったのだが。


「まさか、君がここにいるなんてね」
「お久しぶりです、時の守人」


 少年がどんなに嫌そうな態度をとったとしても、男は笑顔を絶やさない。
時の守人である少年は、あまり彼のことが好きではない。なんでも、彼の物言いに慣れないのだ。
他人を抑え込むような言動。一応紳士な人ではあるのだが。
彼はまだ子供だ。いくら守人だからと言っても、そんな大人との付き合いには不馴れなせいでもあるのだろう。
とりあえず言い返してみる彼も悪いのだが。


「……僕はラルジュなんだけど」
「私からは職柄で呼ぶことが多いので。貴方だって、私のことを案内人と呼ぶでしょう?」


 少年ラルジュはため息をついた。なんだかやってられない。このまま相手のペースに呑まれそうだ。とにかく、早く彼から離れたい。


「で、君はどうしてここにいるのさ」


 何気なく質問を投げ掛けてみる。しかし、それが思いもよらぬ事態を引き起こしてしまう。
案内人、と呼ばれた男はこう答えた。


「逃げています」
「……は?」


 思わぬ答えに、思わず聞き返してしまうラルジュ。
しかし、案内人はにこにこ笑みを浮かべているだけ。
全く持って、信じられないのだが。
至って顔つきは平常だし。


「……ふふ、良いですよ。信じられないというのなら――」


 すっと彼はラルジュの横をすり抜ける。そのすれ違い様に耳元でこう囁いた。


「夢世界においでなさい」


 はっとして彼が後ろを振り返るのだが、そこにはもう、案内人の姿は確認出来なかった。
しかしどこか身体に違和感を感じる。
その腕には絡みついた糸―




【dream-1.2】
…誘うのは、案内人
-However, his appearance became amusing.-



 リシュアは夢の樹から、少し離れた所にいた。
ここは小高い丘となっており、この辺りの草原を一望できる。
夜には何物にも邪魔されない為、星がとても綺麗にみられる。隠れた名所だ。少し町から離れた位置にある為、知る人は殆どいない。
今は雲一つなく、太陽がさんと照りつけている。陽を浴びすぎるのも良くないが、浴びないのも身体に悪い。
思えば、ユメやリミット、ラックと出会ったのもこの丘だ。
それだけ、この丘には思い入れがある。
そんな場所で、彼女は夢の樹を見上げていた。
この樹を初めてみた時、それはもう、何とも言えない心に捕らわれた。
見る者を魅了するとは、このことなのだろうか(まあ言葉で言い表せないのだから、この考えは了解できない)。

 どうしてリミットはいなくなったのか。

 リシュアは静かに思考を重ねる。
……最初に部屋に入った時、彼は何ともなかった。
いや、具合は悪かったようだが。
どうしてあの時、部屋に入った?
呼ばれたからだ。彼がリシュアを呼び出した。
だからその時、話しかけた。
けれども彼は追い返した。
いや、追い返した、とは言い切れない…のかもしれない。

 彼は素直でないから。
そんな彼との付き合いは、容易ではないことくらい、前から承知していた。
承知していたはずなのに…
考えていくとややこしい。どこからが本当でないのだろうか。
どうしてこうも、彼が絡むと複雑なのだろうか。

 いつのまにか、空はたくさんの雲に覆われていた。今日は快晴だと言われていたはずなのに。予報なんて、参考程度に留めるに過ぎない。
たちまち、辺りが暗くなる。とは言っても、日が沈んだわけではないので、夜中程ではないのだが。
暗闇に身を投じると、不安を感じるのは人間だからか。いや、それは問題ではない。
闇に生きる人間だって、この世界には存在するのだから。寧ろ、そういった場所が人間にとって一番居心地が良いのかもしれない。こんな様々な過ちを犯してきた生物にとっては。

 辿り着いた問いはひとつ。

 どうしてこんなことに。


 闇は不穏な気配を呼び寄せるのが普通なのだろうか。
辺り一面に妙な空気を感じる。
何者かが潜んでいるのだろうか。
しかし相手は気づいていないと思っているのか、一向に行動の気配を感じられない。
リシュアは相手に警戒を悟られないように神経を研ぎ澄ます。何処かに、何かがいるのだろう。その正体を知るべく。

 このような状況に陥るなど、よくあることだ。


「ああ、空が曇ってきてしまいましたね。それなのに貴女は、そこで何をしているのです?」


 不覚だった。
既に相手に読まれていたなんて。後ろを取られていた。だが相手に敵意がないことも、感じ取れる。
振り返りはしない。それが隙に繋がるのは了解しているのだから。
それでも、声の主はわかった。何故なら、一度会っているから。その人物に。
顔すら見ていないが、不適な笑みを浮かべるその姿が脳内で再生される。思わず苦笑しながら、その者に言葉を返す。


「お久しぶり、ですね。夢の案内人」
「まあそんな頻繁に会うこともないでしょう?」


 くすくす、と相変わらずの笑みを称えた案内人の声は、どこか悲しげで。
相変わらずだ。何を考えているのかさっぱり読み取れない。
そこが彼の良さとも言えるし、非でもある。


「貴女はきっと、気づいてしまったのですね。それが本当か……確かめてみたいですか?」


 唐突な彼の問いかけ。
怯むこともなく、リシュアは答える。


「考えたことが全て正しいとは限りませんよ。……ですが、それに賭けてみるのも一種の手立てですし」


 すると案内人は突然、高らかに笑いだした。
まるでそれは、狂った何かのように。そこで異常を感じとる。
覚えず、振り返ってしまった。その姿に、驚愕せざるを得なかった。それは彼女が知っている案内人の姿ではなかった。
彼には……無数の糸が絡みついていて―まるで「操り人形」。
笑いを止めると、まるで見下すように。彼は彼女を見据えている。その目は普段の彼のものでなく。その瞳の奥に、何か深い闇を映しているよう。


「ならば探しに行けばよろしいかと。……私をなんとかしてからですが、ね?」


 刹那、暴風がリシュアの髪を乱す。草原に波が出来る。ああこれを海原というのならば。本当にそのうねりは海のようである。
威圧感とは違う。
それでも、何かに気圧されるような……リシュアでさえも、耐え難い不安にかられる。
風といえば。
リミットと出会った時も、そんな感じだった。
恐怖こそ感じなかったものの、それはやはり風であって。彼はよく、疾風と呼んだ。
彼にはその剣技に、彼なりの流派があって、風をモチーフとしているのだが。
風を感じると、なんだか尋常でない不安にかられる。おかしい。彼と出会ってから、確実に。
あれから色々なことがありすぎた。
例えば前回は――


「不意討ちには慣れてると見ましたが?」


 案内人は例の杖を持ち直し、リシュアは刀を構える。
そういえば前にもこんなこと、


「私が……」


ふと案内人と、彼の姿が重なった。
思い描くことは、時に隙を生むのだろう。それでも彼女は、彼を。


「リミット…?」


 きっと必然だった。
命取りだ、わかっていた。それでも……


「私がまともに戦うとでも?」


 視界は徐々に色を失い、ばらばらになっていく。まるで闇の中の欠片のように。
世界が割れていく。
そのまま上か下かもわからずに、くるくる回る。
無彩色。断片。崩れていき、歪んでいく……。

 きっとあれは罠だった。一度はまってしまえば、簡単には抜けられない。奈落への落とし穴。
けれどもそれが、彼の元へ繋がる夢であるのならば。


 たまには相手の策に、身を委ねることも……有りだろう。



 きっと在るべき処に繋がると信じて。
リシュアはそっと、目を閉ざした。





 耳元に囁くように。
その声は聞こえる。


『Falloaury、おやすみ……またあの夢の中で……Haver goodal niche』


 誰のものだろうか。

 それは彼がよく知る人物。

 腕に糸を絡めた案内人。

 その足元には、崩れ落ちた女性。

 その顔は先程とは違い、複雑なものとなっていた。


「夢ガ、狂ッテイル……なんテこと……!」


 頭を抱えても、彼の腕の糸には気付かない。





『Falloaury、Falloaury……朝は永遠に来ないのか……夜が永いだけなのか……』


 どこからか聞こえる、微かな寝息が。


『……我にはわからない。知ろうとしないからなのか、それとも逃げているだけなのか』


 Falloaury。彼はその言葉を呟く。それから、急に口調を変えて、


『……ああ、また眠くなってきた……次に目覚めた時は、俺も動くかなあ……』


 そっと呟き、そしてまた、空間は静かになった。





 気がついたら、彼はいなくなっていた。


「……また、ですか。もう、今度は何処へ……」


 なんとも滑稽な風貌の少年は、「世界」をみる。


「先に帰ってしまったとか……?まだ見つけていないのに……一人じゃ無理ですよ……」


 そうして、大きく息を吸い込む。それはきれいな空気といえるのか。


「……僕はまだ、師匠の弟子なんですから」


 そう言い放った少年のローブが、そよ風に揺れていた。


 





「気付いたのは誰か。問うたのは誰か」


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