ふわりと浮いた意識の中で。
リシュアは草原の中にいた。
ただ同じような光景が東西南北、どちらを向いても続いている。闇雲に歩いていたら、迷ってしまいそうだ。
先程まで立っていた大地とどこまでも酷似している、しかしそれでもここは違う場所であると、リシュアは勘づいていたようだ。

 それはまっさらな草の上に広がる幻想。

 一歩足を踏み出してみると、空の上へと昇っていきそうなくらいには、身体の軽さを感じる。

 間違いない。ここは夢の中。

 あの時案内人は、彼女をここへと誘った。わざと自分から相手の策に陥った……状況は悪いはず。
それでも、単なる罠ではないのかもしれない。

 彼に操り人形の如く、絡みついていた糸。
あれは彼の所作ではないはず。少なくとも、これには複数人が関わっているとみた。

 慣れない足取りで、一歩一歩進んでいく。どこまで歩みを進めても、広がるのは草原のみ。
緑も青もなく、ただ真っ白い光景が繰り返されるだけ。元々白いのか、何処かから降り注ぐ光が眩しすぎるのか。それ故に、自分が本当に進んでいるのだろうか、わからない。
それでも歩みを止めない。何もしないよりはましだ。

 生き物の気配の有無など、満更でもない。何しろ、全てが白い。白いだけの生き物なんて、存在しただろうか。

延々と思考を繰り返しながら歩いていると、ふと目の前に、赤い色を見出だした。

白い世界に、鮮やかな赤い色。

安心感と、恐怖感。

どうして「赤」を見つけてしまったのだろう。


『紅イ……紅イ花。私ノ大好キナ花』


 そして、水が流れていく音を聞く。




【dream-1.4】
…迷うこと赦されぬ、果てなき夢路
-Bright red flower blooms in blank dream-



 すると突然、目の前の景色がぐるりと回転した。……いや、歪んだと言った方が妥当かもしれない。
捻れて、折れ曲がり……それが再び風景と視認出来た時、辺り一面の花畑となっていた。
びっしりと咲き誇っているのは、燃えるような、赤い花。
風でも吹いているのか、その花弁はゆらゆらと揺れている。ただ、体で風は感じとれない。
真っ赤。そこは白いだけの空間から、見事に赤だらけの空間になっていた。

 赤、というと……あまりいい思い出はない。少なくとも、彼女には。

 あの時、全てが赤く、赤く揺れていた。それは元からその色をしていたわけではない。
しかし花ではないのだ。

 赤く染まった花畑を歩む。
思い出された光景を、なるべく奥へ奥へと閉じ込める為に。

 風を感じられないのに、赤い花はゆらゆらと揺れる。
いや、もしくはこの花自体が揺れているのだろうか。恐らくここは夢の中。そんなあり得ない事だって、完全に否定する術などどこにも無いであろう。


『来るなあっ!!』


 突然響き渡る、どこか聞き覚えのある声。
リミット。リシュアはぽつりと呟いた。
はっとして、辺りを見渡す。しかし、そこに広がるのは赤い風景のみ。
この「赤」の中に、彼がいるというのだろうか。


『こっちに来るな……!』


 再び聞こえる彼の声。
しかしその声色には、平生の彼らしさはなく、恐怖と懇願の響きを含んでいた。

 誰に向かってなのか。

 ふと、今まで感じていなかった風を感じる。
吹き抜けた方をみやると、そこには一人の少年。何も言わずに彼女を見据えていた。
花畑と同じ、紅い外套を羽織った…
顔はよく見えない。何とか見ようとしても、心の何処かでそれを拒んでいるようで。
もしかして、彼が声の主なのだろうか?


「ねぇ、お姉さん」


 少年は唐突にその口を開いた。
しかし、その声は先程の声とは似ても似つかぬ物である。
しばらくリシュアは少年の言葉の続きを待っていたのだが、彼は一向に言葉を紡ごうとはしない。やがて疑問に思い、彼に向かって言葉を投げ掛ける。


「……どうして黙っているんです?私に何か言いたいことがあるのでは」


 その言葉を聞くと、心なしか、少年の口が若干だが綻んだような気がした。
ようやく少年が話し始める。


「お姉さんは、今……“怖い”?」


 探るような問いかけ。
顔は見えない。けれどもリシュアには、少年が真っ直ぐに自分を見ている、と思えたのだ。


「……怖い、ですか……。違うといえば嘘になります」


 遠回しにそう返す。
実際そうだった。「夢の中」にいるという事しかわからない今、その心の内は不安や恐怖以外の何物にもならない(しかし、その「夢の中」にいることさえ、違う可能性も無いわけではないのだ)。
それを受けた少年は、先程と同じ口調でこう返す。


「ふぅん……案外、正直なんだね?」
「大体、嘘をついても見抜かれるでしょう?“この世界”でなら、おかしくありません」


 リシュアは軽く言い放ったが、つまりこういう事だ。
“ここ”は、確信出来ずとも夢の中。現実ではないこの空間で、何が起きるかなんて予測出来たものではない。


「鋭いなぁ。ねぇ、ならここが「どんな夢」なのか、わかるよね?」


 どんな夢?
どんな夢と言われても、「このような夢」としか返す言葉はない。
しかし、少年が思わずくすりと笑っていたのを、リシュアは見逃さなかった。
この質問の裏には、何かがある。


「難しい?ならこう言い換えてみようか」


 そうして答えるのを渋っていると、少年は更にこんな事を付け加えた。


「……この夢は、“誰が、何を思って、迷い込んだ”夢だと思う?」


 嫌な響き。
どこか不安を煽るような、悲しい響き。
答えてはいけない気がした。この、質問には。
けれども少年は、答えを待っている。黙ってただ、こちらを見つめているようだ。未だに、その顔を確認する事は出来ない。

 長い沈黙。
両者共に何も言葉を発せず、時間ばかりが過ぎていく。
音の無い空間は不気味にただ続いていくだけ。
答えを、導き出さなければよいのか。
リシュアは、確信を持ちきれないまま、少年にこう返した。この沈黙の状態が続くのは、あまりにも耐えがたかったのだ。


「貴方は、どう思うのです?」
「……そうだね……」


 そう漏らす口元が、緩んでいる。


「これは」


 ボクガ夢ミタ、ボクノ夢ダ。





 再び、風が吹いた。一斉に花びらが舞う。紙吹雪のように、勢いよく。
そしてあの赤い花畑の中に紛れ込んでいた。
しかし、何か様子がおかしい。
見るとその花びらは、溶けているのだ!

 そして液体と化した花びらは、赤い雨となり、落ちていく。

 なんということだ。この光景は……

 どろどろと溶けていく、赤い液体。思い出すだけでも寒気がする。しかしそれを顔には出さない。

 ああそうだ、これはあの時の光景と酷似しているじゃないか!

 赤い花びらが舞う。しかしそれはもう花びらなんかではない。
どろりどろりと溶けていき、大地に降り注ぐ。
そして、「血のように」赤い液体が雨となり、彼女の身体を濡らす時には、

 彼女はその手に刀を握っていた。

―どうしてこの刀は、紅いのだ?


「それが君の夢だというなら」


 目の前で口元に笑みを浮かべたままの、血濡れた少年。自分の状況がわかっているのだろうか、それでも尚、楽しそうだ。
しかし一方、彼女にはもう声をあげる気力も残されていない。夢に、過去に呑み込まれている。


「そのまま囚われていればいいんだ……僕と、同じように」


 霞む笑い声。
頭に妙に響いてしまう。それほど特徴的といえよう。
紅き花びらと笑い声。
少年は彼の夢だと言ったが、実際に誰の夢だと思っていたのか。
彼は真実を口走っていたのだろうか。
わからない。
考えていけばいく程わからない。
誰か教えてほしい。


 頭に、突然激痛が走った。
あまりの痛さに、リシュアは頭を抑えるものの、必死に持ち堪えようとする。

 その様子を面白そうに眺めている少年。しかしなにも発言する様子はない。
ただ、じっと彼女を見つめているだけ。

 そして気付いた。いつの間にか、手足に糸が絡みついている。隙間なく、強力に。何だこれは。
これでは刀を振るどころか、逃げることも敵わない。

 先程の少年の声が、深く脳裏に刻み込まれたまま。


 簡単に崩れ落ちてしまうだけ。彼女がどんなに強くとも、このような隙間に入り込まれたらひとたまりもないという訳だ。
彼がそんなリシュアに手を掛ける。


「帰ろう?」


 為す術もなく、ただ。

 鳴り響くのは、紅き雨の音。


『此処は汝が迷うべき道ではない……』


 何処からか聞こえる、先程とは違う声。
威厳の裏に、どこかおおらかな雰囲気を感じさせる。
それだけでなく、その言葉を期に、景色が流転する。
急速に、誰かが彼と彼女を引き離すように。
再び色を失った世界に。


『一旦お別れかな?』


 そんな風に、薄れゆく景色の中で……
やっと、見えた。


『またね』


 やはりその少年の顔は、リミットに似ていたのだ――


 



「そりゃあ、簡単に堕ちてしまっても仕方ない」


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