雪山に眠る、思い出。


 
今日もその山には、雪が降っていた。
幼き配達人、フィメラは白く積もった道を歩く。


ざく、ざく、と音を鳴らして、その足が沈んでいくのを楽しみながらも、彼女はゆっくりと進んでいく。
幼すぎるのだろうか、彼女にはまだこの仕事の重さがわからない。
ただ、あの時、姉を救おうとした、ひとりの配達人のように。
彼女はその時、決めたのだ。
 

フィメラは、とある仕事の為にこの雪山に来ていた。
 

けれど、どこに行けばいいのか途方に暮れていたところだったりする。
白くて冷たいものが、フィメラの頬に降りてきた。その冷たさに、思わずはしゃいでしまいそうだ。
と、彼女は突然後ろに倒れた。どうやらバランスを崩したようだ。
けれどもそのまま、空を見上げる。たくさんの冷たい綿が、上の方から落ちてくる。
思わず大きく口を開けてみる。案の定、それらは口の中に。
口を閉じた。しゃりしゃり音がする。それが楽しくて、彼女は再びそれを繰り返す。
面白い!フィメラはそう言いながら同じことを続ける。そんな様子を見ていると、ただの小さな子供なのだなあと思えるようで。




…どこかから、声が聞こえる。誰かに、呼ばれているのだろうか。
彼女は、ゆっくりと目を開ける。
誰かがこちらを見ているようだ。何か語りかけてきている。
そこでフィメラははっとした。いつの間に寝ていたのだろうか。
跳ね起きると、彼女は早々その人物に問うた。あなたはだあれ?
目の前の人はこう答えた。その辺にいるただの女よ、と。
その答えに首を傾げるフィメラ。おねーちゃんって呼んでいーい?
女は静かに頷いた。
それで嬉しくなったのか、フィメラは急に笑顔になって、色々問いかける。
ここはどこー?おねーちゃんはなんでここにいるのー?雪、面白いねー!
それらを聞いて、女は微かに微笑んだ。そして、口からこんな言葉を漏らす。

私はね、手紙を迎えにいくの。

そっかー!とフィメラは楽しそうに相づちを打つ。
彼女はわかっていない。手紙を迎えに行く、というのが、本来ならばあり得ないことだと言うことを。




その「配達人」は、配達人ではなかった。

「…ですから、無理をせずに。私達で何とかしますよ」
「嘘だ!!そう言って…届けないくせに!!」

道端で出会った若者。
コルディはそんな彼の様子に異常を感じて、話しかけたのだ。
彼曰く、自分で手紙を届けに行くというのだ。
それだから、配達人であるコルディが配達物を預かろうとしたら、こんな事になってしまったという訳である。
どうやら若者は、配達人を信頼していないようなのだ。

「配達人なんか嫌いだ。僕が大切な人に向けた手紙を届けてくれなかった…!!」

若者の怒りは相当なものであった。長年こういう仕事を続けているコルディには、ひしひしと感じられる。

「…いつ出したものですか?」
「一年前だよ!なんか文句あるのか…!」

怒りのこもった目で、こちらを睨む若者。

「切手の不備とかではありませんか?」
「馬鹿いうな!ちゃんと切手は貼ってあった!きっと配達人が盗んだんだ…!そうに違いない!」

それでも、彼は問う。どこか若者が、悲しそうに見えてくるのだ。

「相手側には確認したのですか?」

それが彼の怒りを煽ることと知っていても。

「したさ…!届いてないって…もう自分で届けるからいいさ…配達人なんか消えちゃえ!!」

ついに若者は走り出した。コルディは止めようとはしない。だって、わかっているから。
一人になり、彼はぽつりと呟く。

「…なら、何のために私達、配達人がいるんでしょうかね」

その目線の先は、若者が走っていった先の雪山に向けられていた。




それは数分前のこと。

とある部屋にて。

トラウムがふとこんなことを言っていた。

「例の人、まだ彼処にいるらしいよ」

コルディとフレアは、一斉にそちらを向く。

「…それ、ほんと?」
「ぼくをなめないでよーこの情報網!伊達に各地を放浪してないよーん」

トラウムはそう言って大きく欠伸をした。そしてソファーにもたれ掛かる。
彼は半分ここに居候しているようなものだ。よくふらりといなくなり、いつの間にか情報を仕入れて帰ってくる。
彼は、他の配達人とは少し違う。運び屋、なのだ。決まった仕事はなく、自分の思うがままに何かを運ぶ。
それゆえなのか、彼はとても自由奔放である。

「…少し詳しく教えてくれませんか、その話」
「んー?ぼくもよくわかんないよー噂で聞いただけだからさー」

誰か行って確かめてくれば?と、呑気な事を言いながらソファーの上でごろごろしているトラウムを見ていると、なんだか本当の事なのか信じられない。
と、そこにセルシオとめのうがやってきた。

「おかえり二人共。仕事どうだった?」

フレアがすぐさま二人に声をかける。それにセルシオが答える前に、めのうが口を開く。

「もうっ!すんごくドキドキしました先輩!!私の判子役にたちましたよ!」
「…いや、判子の話はもういいよ…怒られるのはボクの方なんだから…」

めのうはとっても上機嫌なようだ。それに比べて、セルシオはなんだか疲れている様子。

「わあいセルシオ久しぶりーっ!!」

突然、トラウムがアタックしてきた。セルシオは避けられずにまともに食らってしまう。

「うわああああああっ大丈夫ですかセルシオさあああああん!!」

隣でめのうがあわあわしはじめたがトラウムはそんなこと気にしていない。

「えと…トラウム…痛いんだけど…」
「あーごめーん、ちょっと強くし過ぎた?」

寧ろ笑顔だ。
いっひっひといたずらそうに笑うトラウムは、やっぱりトラウムだった。彼らしい。
しかし、場の雰囲気を壊しすぎだ。我慢出来ず、コルディが口を出す。

「で、先程の話はどうなったのですか?トラウム」
「あーそうそう!その話ね!」

トラウムは再びソファーに戻って寝っ転がる。どれだけ寛いでいるのだろうか、フレアだけが苛々している。

「そういえば、フィメラちゃんはいないんですかーコルディさーん」

ふと、めのうが口に出す。
すると、待っていたかのようにコルディは微笑んでこう言った。

「彼女なら先程、あるものを探しにいきましたよ」

その言葉が言い終わるかという間に、トラウムの話が始まった。

それは、とある配達人の話。




彼は走る。
雪山を走る。
どんな思いで走るのか。

手紙を持って、彼は駆け抜ける。
やがて、雪は激しさを増していった。

それは、どこか配達人のようであって。




どこいくの?フィメラは問いかける。
女は雪上をゆっくりと進んでいく。その足は地面にめり込まない。なんて軽々しいのだろう。

「さっき言ったでしょう?手紙を貰いにいくのよ」

フィメラは彼女の後をついていく。彼女はそんなに雪上を歩くのが得意ではないので、足が沈みながらも懸命に頑張っている。

「フィメラ不安なのー!おねーちゃん危険なとこ行くみたいだもん…」

彼女には、女を止めたい思いがあるようだ。直感的に、感覚的に…何か危険を感じているのだろうか。
女は一瞬だけ、こちらを向いて微笑む。

「大丈夫よ、私一人で大丈夫、だから…」

その時、フィメラは見てしまった。
彼女のその目が、潤んでいるのを。
青く透き通った瞳。まるで、海の水が揺らめいているようだ。
確かにそれは、綺麗だった。美しかった。けれど、彼女は今にも泣き出しそうなのだ。
フィメラは思わず、口を閉じてしまう。何を言えばいいのだろう。幼すぎる彼女には、どうすればいいのかわからないのだ。
フィメラが止めようとするのが悲しいのか、或いはこれから起こる出来事を恐れてなのか。
女は暫くその場に立ち尽くしていた。フィメラのマフラーが、静かに寒風に棚引く。
このまま時が経てば、彼女等は降り積もる雪に埋まってしまいそうだ。
もちろん、そんな事になるはずはないのだが。

やがて女がゆっくりと、口を動かす。

「ごめんね、フィメラ、ちゃん、だよね……でも私、行かなくちゃ、いけないの」

どうして、フィメラは思わず口に出していた。きっと、わからない。
女はそっと、涙を拭って作り笑いを浮かべる。

「…聞いてくれる?小さな配達人さん」

フィメラは頷いたが、本来ならばここで疑問を持たなければならない。
フィメラが配達人だとは、誰も口にしていないのだから。
いつから知っていたのだろう。それとも、ただの勘なのだろうか。
どちらにせよ、フィメラにはわかっていない。

そんな純粋な少女を目の前にして、女は話し始める。

「…私の兄は、配達人を信じられない人なの」

そんなフィメラは、ただただ首を傾げるしか為す術がないのだが。




彼は雪の中に倒れた。
全力を出しすぎたのだろう、雪山登山はかなりの体力を消費する。

堅実に行かなければ、確実に遭難してしまう。それが例え、配達人だったとしても。

ああ、もうすぐ彼は凍え死んでしまうだろう。ここは雪山。
やがて天候は崩れ、吹雪となる。
もう身体を動かす気力もない。
彼はその淵で、何を思うのだろう。

「………」

そんな若者を、ただじっと見つめる人物。
彼は先程別れたはずの、配達人。
全て、見通していたかのように。

「…貴方は配達人が信じられないと言いましたが」

聞こえているのかいないのか。若者は微動だにしない。

「それは間違った判断だと思いますよ」

それでも彼は語り続ける。
その時、若者は何を感じる?

「私は配達人ですが、正確に名乗るのならば、思い出の配達人」

コルディは不意に、手をかざす。
すると、なんということだ。景色が段々歪んでいくような気がする。
近くの枯れ木はその葉を繁らせ、積雪の厚みは一気に増え、吹雪はその勢いを増す。
そこに彼らの姿はない。
見えるのは、一人の若き配達人。
猛吹雪の中を、一人歩く。

「…これはこの雪山の思い出。貴方はこれを見ても、その気持ちを変えない人ですか?」

どこからか、反響するように、彼の声。
これは、雪山の思い出。
誰にも知られることのない、大切な思い出―




その若者は、配達人だった。

「…お兄ちゃん」

その若者は、仕事を頼まれた。

「この手紙を、雪山に住んでるお姉ちゃんに渡して、ね…?」

その若者は、手紙を託された。

「わかってる。僕だけじゃない。お前も寂しいのはわかってる…だから、必ず、届けてみせるから…」

その若者は、雪山を登った。

「…え、吹雪…?」

その若者は、吹雪に見まわれた。

「お兄ちゃん!!お願いだから…戻ってきて…!!」

その若者は、何もかも聞き取れなかった。

「お兄ちゃん…届いて…この声…」

その若者は、雪の中で倒れた。

「…ごめんな、ごめんな…ごめん、な…Liris、Airia…ごめん…」

その若者は、息絶えた。

「ごめんなさい…ごめんなさい…きっと…待ってるから…」

その若者の妹は、真実を知らずに―
 

 

 

 

 

 

 私にはね、兄と妹がいるの。

私達は、とても仲がよかったの。

一緒に海に行ったり、山に登ったりしたかな。

喧嘩もしたことなかったし…この三人で良かった、と何度思ったか。

でも、私は二人と一緒に住めないの。

ううん、本当は一緒に住みたいけれど、出来ないの。

お兄ちゃんは頼れる人だった。いつも私や妹の面倒を見てくれたの。

私がこうやって、一緒にいられなくても…いつも私を思ってくれていた。

お兄ちゃんは、あなたと同じ配達人だったのよ。

うふふ、配達人が信じられないのに、配達人をやっているなんてって思うでしょう?

まだその時は、そんなんじゃなかったの。寧ろ配達人の仕事が大好きだった。

でもね、ある時お兄ちゃんはとある仕事で「迷って」しまったの。

お兄ちゃんは、その仕事を成し遂げる事が出来なかった…

それから、お兄ちゃんはおかしくなってしまった。

きっと、自分の失敗が、許せなかったの…

お兄ちゃんは配達人を拒むようになった。

だから、配達人としてじゃなくて「お兄ちゃん」として、手紙を届けに来ようとしているの。

でも、きっとお兄ちゃんはまた「迷って」しまう。だから、私が手紙を迎えにいくの…

だから、大丈夫よ。フィメラちゃん…




難しいことはわからない。それがフィメラだ。
…しかし今気づいたことであるのだが、その女の身体は普通の人よりも白く感じられた。
雪のせいじゃない。

「…ごめんね、あなたにこんな話をして」

女は謝るように、下を向いた。
そんなそっと彼女に近づくフィメラ。
しゃり、しゃり、と雪の上を歩く音だけが聞こえる。

そして、目の前まで来ると何やら必死にぴょんぴょん跳ね出した。

「フィメラっむずかしいことっよくっわかんないっ」

何度も何度も。

「でもっフィメラはっそれでもっおねーちゃんにっ、ついていくっ!」

何度も何度も何度も、女が返事をするまで跳ね続ける。
本当に、正直な子である。
最初は動じなかった女も、その可愛らしい動作に思わず笑みを溢す。

それから、フィメラをしっかりと抱き止める。

「…仕方ないね、その代わり、危なくなったら真っ先に逃げるんだよ?」
「うん!!」

フィメラも女を抱き返す。とってもとっても、嬉しそうに、笑顔で。

まるで、姉妹のようだ…。




「…だからあ、噂だってのー」

トラウムが寝返りを打つ。相変わらずの寛ぎようだ。

「まあ…でもコルディが行っちゃったんだから仕方ないね」

テーブルに置いてあるポットに手をかけながら、フレアが呟く。めのうは戸棚からコップを取り出した。

「ねーねーセルシオはどう思う?」

不意にトラウムがセルシオに問いかけた。窓の外を眺めながら、セルシオは何が?と聞き返す。

「その配達人の事」

暫くセルシオは、何も返さず、ただ流れ行く雲をぼんやり見ていた。
それから、ぽつりと

「本人じゃないから、わからないよ」

と答えた。




景色が戻っていく。

木はやはり枯れ木となり、雪の量も減っていた。
吹雪は、いつの間にかおさまる方向にある。

彼は、泣いていた。
まるで涙が川のように、流れていく。

思い出の配達人は、それをただ、じっと見つめているだけ。

思い出してしまった。

閉じ込めていた記憶。

嫌な記憶だけではない。楽しかった記憶と共に。

嬉しいのか、悲しいのか。

自分ではわからない。わからないから、何も声に出せない。

「…一つ、質問をしても宜しいですか?」

そんな彼を見下ろすように。

配達人は相手の返事を待たずに、続ける。


「貴方は、配達人ですか?」


一瞬の静寂の後、雪山には若者の泣き声が悲しく響き渡るのだった。




「寒くない?フィメラちゃん」

うん、と頷くフィメラ。
女が彼女の手を繋いでいてくれるので、こんな雪の中でもへっちゃらだ。
寧ろ、とっても楽しそう。フィメラだけでなく、女も。
きっと、思い出しているのだろう。
彼女が兄や妹と過ごした日々の事を。
楽しかった日々の思い出を。
二人の周りには、暖かな光。
きっとこれは、思い出の配達人がばらまいてしまったのだろう。
でも大丈夫。いつかこれらの思い出は、誰かの元へ還っていくのだから。
何処かへ忘れてきた個々の思い出、それを配達人が見つけて還していくのだ。
恐らく、ここには…彼女の思い出も混ざっているのだろう。

幾つかの光が、彼女達を包む。
その時、少しだけ。ほんの、少し。
フィメラの手は、虚空を掴んだ。
けれども、それは本当に一瞬の出来事だった。すぐにフィメラの手は再び女の手を繋いでいた。

微妙な変化に気づいたのか、フィメラはじっと女の顔を見つめる。
しかし、そんなフィメラに動じず、女は少しも顔色を変えることは無かった。

「…もうじき、分かるよ」

それだけを呟いて。




「ばかっ!お兄ちゃんのばかー!だいっきらい!!」

遠い冬の日の記憶。
私は勢いだけで家を出た。
お兄ちゃんが、配達人になったら、ずっとこの家で一緒に暮らせない。そう思って。
わかっていた、私達が生きていく為に…配達人の道を選んだのだと。
お兄ちゃんはそんな私を止めようとしたけれど。

「危ない…!!」

不覚だった。
私は崖から、落ちた。
あの、雪山の。

「Airiaー!!」

お兄ちゃんは私の名前を呼んだけれど、もう、無駄な事だった。
それからお兄ちゃんと妹は、二人で生きてきた。

やはりお兄ちゃんは、配達人の仕事を始めた。
妹はよく一人になった。
ああ、なんて私は愚かだったのだろう。
あの時私が家を出なければ。妹は一人にならなくてすんだのに。
三人いっしょ、とだけにこだわり過ぎて…結局は、バラバラになってしまった。
私のせいだ。全部、私のせいなんだ…

「…手紙を、届けにいく」

ある日、お兄ちゃんは私に手紙を届けようと決意した。
意味ないの、もう、意味ないんだよ?それでもお兄ちゃんの決意は揺るがなかった。
…きっと、わかっていたんだろう。お兄ちゃんも、妹も。
最後の賭けだったのかもしれない。

「…でも、私は待ってるからね。お兄ちゃんのことも、お姉ちゃんのことも」

妹は信じた。きっと、何もかも消え去った今でも信じているのだろう。
お兄ちゃんは雪山にやってきた。一通の手紙をその手に持って。

それから先は、きっと、本当に忘れてしまいたかったのだろう。

お兄ちゃんの手紙は、未だに届かない。

きっと何処かで迷っているんだね…だから…だから…私が、


私が、その手紙を受け取りに行くの…。




―立てますか?

思い出の配達人が、手を差し出す。
若者は、その手を掴もうとしたが、ふとすり抜けてしまった。
けれども、それは元から知っていたかのように。若者は苦笑する。

「…馬鹿だなあ。今更、思い出させられるなんて」
「人とはそういうものですよ。時が経てばやがて忘れてしまう」

先程の怒りの感情はどこへやら。若者は遥か上空の光を見上げる。雪は、彼に降りかかることはない。

「それに、死の直前の意識が、亡霊となって執着心となる例はよくありますから。余程…大好きだったのですね」

思い出の配達人が何やら、空に印を描くと、再び手を差し出したので、若者も手を伸ばす。今度は、しっかりと繋がれた。
若者は、支えられながらも立ち上がる。
彼は、若者の手がやけに冷たいのを知っている。長い間、雪の中にいたからではなく。
彼は、もう全ての答えを知ってしまった。その根拠は、先程の思い出の数々だけで十分だ。
彼が見せた幾つもの思い出。それは、彼らにとって大切な何かを思い出させたのだから。

林の向こうから、楽しそうな声がする。
コルディには聞き慣れた声。
彼は若者に向き直ると

「…ほら、そうこうしているうちに、向こうの方から来てしまいましたよ?」

思わず、微笑んでしまった。




「あーっコルディー!」

フィメラは彼の姿を見つけた途端、彼に駆け寄ってきた。そして、思いっきり抱きつく。抱きつきざまに、フィメラは問いかける。

「フィメラ、えらい?」
「お疲れ様、フィメラ。よく頑張りましたね」

コルディはそんな彼女の頭を優しく撫でる。とっても、とっても嬉しそうなことこの上ない。
その姿は、まるで親子。

その様子を何処か懐かしそうに眺める若者。その時、彼の背後から視線を感じた。
ああ、なんだかとても、懐かしい。
彼はゆっくりと後ろを振りかえる。そこには、フィメラと共にやってきた女が佇んでいた。


「久しぶり、お兄ちゃん」

次の瞬間、若者の目から再び涙が溢れ出す。
その顔は、笑顔のまま。




どうしてだろうか、二人はすぐには次の言葉が紡げない。
お互い、何かをためらっているみたいだ。
それを見かねて、コルディが助言。

「話したいことがたくさんあるでしょう?Trueno、Airia」

その様子を、不思議そうに見守るフィメラ。なんだかいつもより、おとなしい。

「アイリアねーちゃん、トルーノにーちゃん?」

そっと囁く。

「…今は、本当は、その名前じゃないけど」

涙を拭うトルーノ。
大分、大人しくなった雪は二人に降りかかることはないのだ。

「トルーノの方が慣れてる」

だって、彼らは。
フィメラが、それになんとなく気付き始めたようだ。

「…お兄ちゃん」
「…なんだい?」

その時、アイリアという女は

「…お兄ちゃんのばかあああああ!!!」
「!?」

そんな雰囲気を破るかのように叫んだ。
そして急に彼に近づいたと思ったら、彼の身体をばしばし叩く。

「ばかっお兄ちゃん本当にばか!そんなことしてまで私をっ…私なんか…」

やがて兄にもたれ掛かった。そして、子供のように、大きな声で泣き出した。
今までの気持ちを、思いっきり吐き出すようにして。

「ごめんなさあああああい私のせいで…私のせいでこんなことに…うわあああああああん―」

雲の隙間から、太陽が覗いた。
涙が、光を浴びて、この上なく素敵な輝きを放っている。思わず、フィメラは見とれてしまう。きれい。思わず、そう呟いていた。

トルーノはそんな妹を、強く抱きとめる。先程、アイリアがフィメラにしてくれたのと、同じように。

「…本当に、馬鹿だな」

そう微笑んで、彼は優しい声で囁いた。

「…それは、僕も同じだ。お互い様だよ…Airia」

それから、いつのまにか手にしていた、封筒を差し出す。それは古く、汚れていて、いかにもみすぼらしい。
それでもこれは、彼らにとって、大切な手紙。

「これ、君への手紙。…本当に、ごめんな」
「…知っていたの。お兄ちゃんが、こうやって来ることも」

優しい笑顔。
兄妹は、とても強かった。
そんな様子をみて、フィメラは思い出してしまった。
自らの姉を。
あの時、守れなかった事を。
あれはセルシオのせいじゃない。
あれは。
 

 



あの時、何があった?

ある日、一通の手紙が届いた。

「大丈夫、すぐ戻ってくるから」
「がんばってね、お姉ちゃん!」


姉は、一人で何かを探しにいった。

「配達人…さん?」
「…フィメラちゃん、それは…」


姉はそれきり、何処かへいなくなってしまった。

「…ごめん、ね…」

彼は姉を探しにいってくれた。

でも、遅かった。

…まるで、あの二人のようだ。

「…守れ、なかった」

配達人は、泣いていた。

かなしいから、くやしいから。

「…きめた」

けれども


「…フィメラ、配達人になる」



彼が泣く必要なんてない。



「配達人になって、世界を回っていれば、いつかお姉ちゃんに会えるよね?」



ああ、どうして彼は泣いているのだろう。

きっと、似た者同士だから。


 



「フィメラ、何か忘れているのではありませんか?」

そう言われて、ふと我に帰る。
コルディが、優しい目でこちらを見つめていた。
彼は、彼女が思い出に捕らわれていることを知っていたのだろう。
声をかけることで、引きずりだした。

そうだ、フィメラには、仕事があった。

ゆっくり、ゆっくり。
思い出に押し潰されそうになりながらも、フィメラは二人に近づく。

そうして、比較的真新しい封筒を、取り出した。

二人が不思議そうな顔をしたのも、無理はない。

フィメラは、何事も無かったかのように、笑顔につくりこう言うのだった。

「えっと、リリスさんから、お手紙です!」

雪は優しい降り注ぎ、日はいつのまにか傾き始めていた。




夕焼けの中、二つの影が仲良く歩いていく。

雪山の麓まで降りてきたところで、思い出の配達人は独り言のようにこんな事を言い出す。

「いい思い出は、言わずもがな忘れたくないですよね」

もう、ここまで来れば、雪が降りだすことはないだろう。

「ですが、あまりよくない思い出も、心の中に閉まっておくといいですよ」

隣で並んで歩く、フィメラの顔は何だかとっても満足そうだ。

「それが貴方自身の物語なのですから」

ほうら、もうすぐ彼らの家が見えてくる。




―お元気ですか。

私は元気だよ。

今は一人で仕事をしているの。結構楽しいよ?

…お兄ちゃんとお姉ちゃんは、とっても偉いと思うんだ。

私はまだ、二人に会いにいけないけれど、

いつか、また三人で一緒に暮らせたらいいね。

それまで、私は、がんばるから。

待っててね、必ず、行くから

Liris―




涙って、きれいだね。

そんなことを、フィメラが言っていたような気がする。
どうして、そう思うの?フレアがそう問うていたことがあった。
彼女はこう答えた。

「だって、どんな川の水よりも、すき通っているんだもん。にごった涙なんて、見たことないもん!」

それは同時に、どんな川の水でも汚れていることを意味していた。
いつからだろう、綺麗な川が減っていったのは。
けれども、いくら川の水が汚れてたって、涙の水は綺麗だ。
悲しいから、泣くのだろうか。嬉しいから、泣くのだろうか。悔しいから、泣くのだろうか。
どんな感情かはわからないけれど、それはきっと、何者にも汚れていない、純粋な感情なのだ。
そんな綺麗な涙を見てしまうのだから、人はつられてしまうのだろうか。

「フィメラはね、たくさんの人の涙がみたいんだ!かなしいのじゃなくて、嬉しいときの!」

きっと彼女はこう言いたかったのだ。
もっとたくさんの人を喜ばせたいのだと。たくさんの人を幸せにしたいのだと。
フィメラは最近、よく笑うようになった。
どうしてだろうか、あの事件以来、彼女はくよくよしなくなった。
どうしてなのか、セルシオが訊ねた時があった。
決まってこう言うのだが。

「涙流しすぎたら、ほんとに流したい時に、泣けなくなっちゃうもんっ」

そんな彼女の笑顔は、今もとっても、輝いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




数年後、あの雪山は閉鎖された。
遭難者が絶えず、更に危険だから、と政府(警察)がそう取り決めたのだ。
最後の遭難者は、とある少女。
何でも、同じく遭難した兄と姉を捜しにいったらしい。
馬鹿な事を。きっと誰もがそう思った。
あの雪山に入るなんて、自ら遭難しに行くのと同じことだ。
でも、配達人達は、本当のことを知っている。
きっとこれで幸せに暮らせるのだろう。




「…もう、来ちゃったのか」

「私、精一杯生きたよ?」

「早くない?まだ30いってないじゃない」

「でも、幸せだったからいいの」

「…変だな」

「変ね」

「…折角また一緒になれたのに?」

「ごめんごめん」

「私達は嬉しいんだけどね」

「私もだよ!…ただいま、Trueno、Airia!」


「「…おかえり、Liris」」




 

 

 

 

 





あの思い出は、彼らだけの、素敵な世界となったのだろうか。


 


end.
 

 

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